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覺應山長勝寺と一心講 市野倉には、覺應山長勝寺(東京都大田区中央6-6-5)という池上本門寺山内寺院があります。覺應山長勝寺は正保3年の開創で、開基壇越であり新井宿村の郷士である田中長勝の名前から「長勝寺」と称されるようになりました。境内には、大田区文化財指定の池上本門寺十五世日樹聖人供養塔があります。日樹聖人は、日蓮宗の信者でない者からは、例え領主であろうとも布施を受けない「不受不施」を主張しましたが、寛永7年、「受不施」を主張する身延久遠寺側との「身池対論」に敗れ、信州飯田に流され没しました。この供養塔は、日樹聖人三十三回忌の折に、池上・久が原の信者によって建てられたもので、この地域に「不受不施」が強く根付いていたことが分かります。 覺應山長勝寺では毎年10月28日に御会式が行なわれます。池上本門寺近在結社をはじめ、大森・羽田・品川・大井・目黒・川崎・江戸川方面の約20の万燈講中が参詣し、旧池上道から長勝寺に至る参道が、万燈行列で埋め尽くされます。狭い境内に万燈が集結すると、普段とは一変して境内が明るく賑やかになります。 |
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| 一心講前講元 鈴木 光昭(故人) | |
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覺應山長勝寺には、池上本門寺近在結社である「一心講」という取持万燈講中があります。その歴史は古く、在家信者の題目講中である「市野倉講中(現存)」の子供や若者が万燈講中を組織し、御会式に参加したことが始まりです。市野倉講中は日蓮大聖人第五百遠忌(天明元年)の際に既に存在していたことが、池上本門寺歴代貫主墓所内の日朗聖人遠忌碑により確認でき、近隣の「堤方講中」「桐里講中」とともに、「池上本門寺東山麓三ヶ村講中」にその名を連ねていたことが分かります。市野倉講中から組織された万燈講中は明治維新後に「一心会」として独立、昭和25年に現在の万燈が製作されたことを契機に「一心講」と改められ、現在まで途絶えることなく池上本門寺近在結社として受け継がれています。 |
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| 代紋 | |
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一心講の万燈は前述の通り昭和25年に製作され、池上本門寺近在結社の中でも一番の大きさを誇ります。池上本門寺の総門や三門など、一旦倒さないと潜れないほどです。近年では、バッテリーと一体化されたリヤカーや台車に万燈を固定する万燈講中が多くなりましたが、一心講では万燈持ちが襷を掛けて持って歩く、古来からのスタイルを頑なに護っています。また纏は、日蓮大聖人の御紋である「井桁に橘」を模った真鍮製です。 |
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| 一心講の万燈 | 一心講の纏 |
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一心講は、 平成9年5月28日に横浜アリーナで行なわれた「日蓮宗中央大会〜発願の集い〜」や、平成14年4月7日に池上本門寺で行なわれた「立教開宗七百五十年慶讃五重塔供養天童音楽大法要」にも出仕し、過去にも様々な日蓮宗の催物に出仕した、由緒ある万燈講中です。また、身延・小湊・佐渡・伊東など各地の日蓮大聖人縁の御霊跡にも、参拝旅行をしています。 |
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